【ドイツ人は食べない】ドイツのバウムクーヘン

2019年はバウムクーヘン日本上陸100周年だったことをご存知でしょうか。

おみやげや結婚式の引き出物としても人気のあるバウムクーヘンですが、元はドイツから伝わったものです。

しかしその過程は戦争にあったということをご存知でしょうか。

今回はバウムクーヘンが日本に伝わった歴史、本場ドイツとの違い、そしてベルリンで食べられるおいしいバウムクーヘン屋さんをご紹介します。



日本で愛されるバウムクーヘン

縁起物

日本は縁起を大切にします。結婚式や何か祝い事の際に、バウムクーヘンを贈ることがあります。それはバウムクーヘンの断面は木の年輪に見えることから、「長寿」「幸せを重ねる」といったことを連想させる縁起のよいものとされているからです。

実際に、ドイツ語で「バウム」は「木」、「クーヘン」は「ケーキ」を意味するので年輪というのは正しい理解なのでしょう。

ギネス記録

2013年には岐阜県、2014年には京都、2015年には福岡、2019年には広島で「世界一長いバウムクーヘン」の記録が更新されています。現在は20.87mがギネス記録になっているようです。

日本におけるバウムクーヘンの歴史

バウムクーヘンは1800年代初頭にドイツで誕生しました。

ドイツの菓子職人カール・ユーハイムさんは当時ドイツ領だった中国の青島(チンタオ)で働いていました。(ちなみに青島ビールはドイツ時代の産物)

1914年に第一次世界大戦が始まり、ヨーロッパが争っている隙に日本軍は中国にあるドイツ領を奪った訳ですが、その過程でカール・ユーハイムさんを捕虜として日本に連行しました。

1919年、収容所のあった広島で、ドイツ人捕虜が作った作品の展示即売会を開催することになり、カール・ユーハイムさんは得意のバウムクーヘンを作りました。日本人の口に合わせて、本場の味よりもバターを減らしていたそうです。

結果として、日本人の間で大ヒット。捕虜が解放されることになった後も、カール・ユーハイムさんは日本に残り、バウムクーヘンを焼き続けました。

その後、横浜に店を開きましたが、関東大震災で被災し、神戸に逃れ「ユーハイム1号店」を開きました。

これが現在でも続くお菓子屋さん「ユーハイム」の元となったお店です。

その後、カール・ユーハイムさんは亡くなりましたが、弟子たちがバウムクーヘンを作り続け、今日の日本上陸100周年を迎えたのです。

本場ドイツのバウムクーヘン

旅の途中で知り合ったドイツ人に「ドイツに行ったらバウムクーヘンを食べたい」と言ったら変なお顔をされました。どうやらドイツ人はあまりバウムクーヘンを食べないようです。

日本に来て初めてバウムクーヘンを食べるドイツ人までいるとかなんとか。実はこんなにも定番のものとして食べているのは日本くらいだそうです。

実は厳密には日本のバウムクーヘンと本場ドイツのバウムクーヘンは異なっており、日本にはバウムクーヘンの厳密な基準はありませんが、ドイツでは「国立ドイツ菓子協会」が定めた材料・製法以外で作られたもののみがバウムクーヘンと呼ばれるそうです。

国立ドイツ菓子協会が規定する材料

・卵2:小麦粉1:砂糖1:バター1

ベーキングパウダーは使用禁止

そして、バウムクーヘンを作るためには、専用の道具が必要なため、一般的な菓子店では作られておらず、一部のお店のみがバウムクーヘンを製法どおりに作って販売しているため、日本ほどバウムクーヘンが普及していないそうです。

勝手なイメージですが、なぜか海外の一つの国のみで「おはぎ」が大ヒットしているくらい不思議な感覚なんでしょうね。

ベルリンで食べられるバウムクーヘン

お店の場所

1852年創業の長い歴史を持つ宮廷御用達のバウムクーヘンが食べられるお店が首都ベルリンにあります。

「Buchwald」というお店で、家族経営でレシピを守り続けているそうです。

なんとも家族経営を感じさせる質素でかわいらしい内装が特徴的なお店でした。

僕は時間の都合もありテイクアウトしましたが、店内でも頂くことができます。

お味のほどは

今まで日本で食べていた「バウムクーヘン」はもしかすると「バームクーヘン」だったのではないかと思えるほど全くの別物でした。

しっとりした焼き加減、ずっしりとした食感、程よい甘さ。

まさかこんなにおいしいと思っていなかったので笑いがこみ上げてきました。

この世の全食べ物ランキングを作ったとしても上位に食い込むこと間違いなしの際立ったおいしさでした。

2個買って正解でした!

ベルリンを訪れた際は絶対に行ってみてください。中心部からは少し離れていますが、電車ですぐに行けます。

また食べたくなってきました。

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せんまさお

せんまさお

シャイな僕が世界一周の旅へ。諸事情により緊急でお金が必要だったので一部上場企業のキーエンスへ就職。27歳で退職し、夢だった世界一周をすることに。やりたいことを全部やっている最中です。まずは死なずに帰ってきます。皆が憧れる世界一周だと思いますが、良いところも悪いところも全てそのままお伝えして、一緒に旅している感覚になっていただければ嬉しいです。座右の銘はPLUS ULTRA。「もっと向こうへ」という意味です。好奇心の赴くままにもっと向こうへ行ってきます。好きなコーラはコカ・コーラ。スカッとさわやかコカ・コーラ。LOVE&PEACE。

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