今日も国境を越えてボスニア・ヘルツェゴビナへ向かう。目的地はモスタルという色々と歴史のある街。色々というのは、通常の意味の歴史深い街であることと、内戦時代に被害が大きかった歴史がある街だということ。
特に内戦に興味があるので向かうことにした。
モスタル行きのバスはアドリア海沿いに進み、ボスニア・ヘルツェゴビナへ入国。そしてすぐさまクロアチアへ再入国。しばらくして再びボスニア・ヘルツェゴビナへ入国というルートを辿った。
ドゥブロヴニクはクロアチアの飛地なので、そのようなルートを辿ることも変なことではないが、いちいちパスポートチェックがあるので面倒。
最初のボスニア・ヘルツェゴビナ入国は、バスを降りて審査官がパスポートを機械にかざしていただけで終わった。
クロアチア再入国のチェックは機械すら通さず、バスの中で審査官がパスポートを見て回るだけ。前の席のトルコ人はパスポートをスタンプまでジロジロ見られていたが、僕のは顔写真ページを0.5秒見て終わった。
二度目のボスニア・ヘルツェゴビナ入国はスタンプが押された。よく分からない。
モスタルが近づくにつれ、建物の弾痕が目に入るようになってきた。
内戦時についた弾痕がそのまま残されているのだ。もしくはそんなもん直してる場合じゃねえ、直してもきりがねえ、くらい被害が大きいのかもしれない。
一つ二つ残ってるのなら自分も気付かなかっただろうが、古そうな建物には数十個単位で痕が残っているのだ。
バスターミナルから宿に向かう途中にも破壊された建物や弾痕があちこちに目立つ。
チェックインを済ませて部屋で昼食。前の宿で余った卵を茹でて持ってきていたやつと、チョコチップクッキーとコーヒー。無茶苦茶な気がする。
スタリ・モストという橋(GoogleMap上ではなぜか「古い橋」という名前)へ向かう。この橋が完成したのは2004年。しかし世界遺産に登録されている。
なんでそんな新しい橋が世界遺産になっているのかと言うと、実は内戦で破壊された古い橋を再建したからなのだ。(GoogleMapは間違っていなかった)
16世紀に完成したこの橋は、内戦時にクロアチア人勢力がボシュニャク人(ムスリム人)の勢力下にあったこの橋の周囲に攻撃を行ったため、1993年に崩れ落ちた。
ちなみに、内戦はユーゴスラビアからの独立を主張したクロアチア人、ボシュニャク人と、独立に反対したセルビア人の間で1992年に発生した。クロアチア人とボシュニャク人はボスニア・ヘルツェゴビナの独立を目指したが、継続して手を組んだわけではなく、基本的には領土を巡って争っていた。
紆余曲折を経て、最終的には各民族の陣取り合戦状態になり、支配地域からの他民族の浄化(ジェノサイド等)が行われて、多くの犠牲者が出た。
アメリカやNATOの介入で1995年に集結したが、第二次世界大戦後ではヨーロッパ最大の紛争となった。
皮肉なのが、NATOは第二次世界大戦でやらかしたドイツを抑え込みつつ、ソ連の脅威からヨーロッパを守るために組織されたものであったにもかかわらず、ヨーロッパ内の紛争の解決にばかり努めていることだ。コソボ紛争、マケドニア紛争なんかにも介入している。ちなみに日本もNATOに入らないか、という議論がされているらしい。なんで?
とにもかくにも長い紛争だったので局面が180°変わったりなんかもしていたらしいので、詳しくは自分で調べた方がいい。
話は戻って、このスタリ・モストはその歴史的な価値だけでなく、平和になったね、よかったね、みたいなことも込みで世界遺産に登録されている。なので、見ただけでは特段凄さが伝わってくるわけでもない。
しかしながら橋の端に置いてあった「DON’T FORGET ‘93」と書かれた石碑は、確かにここで争いが起きていたんだなと実感させてくれる。
橋を渡って向かったのはスナイパータワーという物騒な名前がつけられた廃墟。入れるらしいが、一応入ってはいけないらしいので、無闇に入ることはやめた。(「立入禁止」の看板の横に「滑るから注意」の看板も立っていることから、事実上立ち入りは黙認されているようだ。)
市街地に建つ高層ビルで、ここからスナイパーが通行人を狙撃していたらしい。確かにここよりも狙撃しやすそうな場所は他にない。こんなことを考えてしまうのすら恐ろしい。
周囲の道路には、未だに弾痕が残っている。人々はそれを気にすることもなく、それを踏みつけて歩いていく。これが日常なんだ。
スナイパータワーは落書きだらけだが、中にはかつての争いに対するメッセージが込められたものが描かれている。
その中でも印象に残ったのが、「We are all living under the same sky」という言葉と空の絵。英語を含む4カ国後で書かれていた。もしかすると他は、クロアチア人とボシュニャク人とセルビア人の言葉なのかもしれない。知らんけど。
私たちは皆、同じ空の下に住んでいます。その通りだ。
ビックリするほど顔が違う。食が違う。言葉が違う。文化が違う。
近くの国同士なのに、国境を跨げば全く違う国が広がっている。毎度、国を移動するたびにそう思う。分かり合うのは難しい事なのかもしれない。実際に僕も旅していると軽い差別はよく受ける。ロクに考えることをしない馬鹿な人たち(悪口)がこの世の中には多いんだからしょうがない。
でも驚くほどに感動する場面は同じ。多くの人々が同じ物や場所、景色に感動するのである。夕陽や絵や建造物。山や海。音楽やダンスといったショーもそうだ。違いすぎる人たちが同じすぎる感性を持っていることが、同じ人間である証明になっていると思う。これってすごくない?
民族が違うからと言っても、同じ空の下に住んでいる、意外と似た人達なんだよな。
ちなみに、この内戦を取材した日本人ジャーナリストは、これを民族紛争ではないと言っている。取材を受けた女性はセルビア人。負傷したボシュニャク人が入院する病院で食事を作っている。なぜ敵対する民族を助けるのか。彼女はこう言った。「昨日まで一緒に過ごしていた人たちをどうやったら急に憎むことができるの?」
彼女が優しいことは言うまでもないが、言っている事は最もだと僕は思う。
ある少女は他民族の彼氏と待ち合わせをしているところにロケット弾が着弾して亡くなったそうだ。紛争で多くの男女が引き裂かれたらしい。
結局のところ、争いは政治家を始めとする権力者の判断で始まる。なぜ争うかと言えば、権利を主張したいからだ。その権利とは基本的には利益の事だろう。つまり金だ。
領土争いや侵略なんて根本的には市場の拡大を狙って行うもんだろう。市場が広がれば国が潤う。国が潤えば権力者が潤う。そんなもののために争うなんて。争わさせられるなんて。
争いはないに越した事はないが、譲歩すれば良いというものでもないことも分かる。それでも、争いを解決するために人を殺すなんて、それは間違ってるじゃないですか。
もう絶対に繰り返してはいけない。落書きは良くないけど、それがある事で過去を忘れないのならないよりいいや。
1992年って言えば、僕ももう生まれている頃。もちろん全く記憶にないが、親世代ですらロクに知らないだろう。遠い国話だから。同じ空の下に住んでるのにね。
せんまさお
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