チェックアウト。今夜、中国を離れる。中国だけで55日間。香港とマカオを含めれば2ヶ月以上をここで過ごしていた。そして、これだけ過ごしてみて、香港とマカオは中国ではないと理解できた。
中国は一つの国であって、一つの国では語ることができない国だということも分かった。
各地を転々とした2ヶ月間だったが、自分が訪れた場所は、ざっくりと4つの地域に分けることができる。
雲南省を始めとする西南側、広州から上海あたりの地域がある南側の沿岸、北京を中心とした北側の内陸、ウイグル自治区を含む北西側。
雲南省を始めとする西南側は特に気に入った地域だ。人々が柔和で優しく、街は静かで清潔感がある。中国人もピースフルな地域だと言っていたが、今なら尚更理解できる。
広州から上海あたりの地域がある南側は、港の存在や華僑文化、そして香港、マカオ、かつての西欧列強からの影響からか、中国国内でも先進的な、中国らしくない雰囲気のある街だった。そして外国人に対しての壁が低いように感じ、楽に過ごすことができた。
北京を中心とした北側は、正にイメージする中国といったかんじの場所で、いわゆるお堅い雰囲気が流れていた。ひとまとめにはできないが、四川省の成都のあたりまで似たような堅さは感じることがあった。ある意味で日本の都会と似た、他者との関わりが少ない街が多く、個人的には居心地がいいとは言えなかった。
ウイグル自治区を含む北西側については、雲南省にもほど近いからか、やはり似たような人の優しさを感じることが多かったように思う。しかしながら、監視の目が明らかに他の地域より厳しくなっているので、悪いことはしていないと思うが、いい気はしない。何をそんなに隠したがっているんだろうか。外国人はみんな知ってるのに。
ともあれ、その監視が厳しい街も最後ということで、電車出発までの間、先日目をつけていた怪しい場所へ行ってみることにした。
いくつかの商城(小売店がギュウギュウに詰まったビル)が林立し、その周囲を金属の柵で囲い、荷物検査、ボディーチェックで固めている場所だ。
何食わぬ顔でゲートを抜け、商城に入って分かった。ここは偽ブランドビルだ。
広州や深センあたりもそうだったが、偽ブランドビルは必ず警備が厳しい。誰から守るためなのか、ここに中国の闇を感じる。
自治区というのが理由なのか、広州や深センとは違い、堂々と店頭に偽ブランドが並んでいる。あちらは声をかけると裏や別の場所から偽物が出てきていた。
世界に誇る偽物市場は政府公認の外貨獲得の貴重なビジネスなのか?と思わせるような重厚な警備のビルを後にした。
宿で荷物を回収し、バスに乗って駅に向かう。バスの中では明らかに顔のジャンルが異なるおばあさんが乗っていた。
誰かに漢字で書いてもらったメモだろう。ウルムチ駅北側というメモを人に見せながら、もう着くか?もう着いたか?と聞いているようだ。
国境が近いことを意識させる。国際列車も国内列車と同じ駅から出ている。両替できない残った小銭でお菓子を買う。
しばらく待ち、23時45分。少し遅れてゲートが開いた。欧米人に見えるが、もしかするとカザフスタン人か、少なくとも中国人以外の人たちが改札を通っていく。
僕も後ろについてホームに向かうと、それはそれはレトロな電車が停まっていた。旧東ドイツ製らしい。
乗り込むとオイルの匂いが充満している。木製の窓枠は歴史を一層感じさせる。ところで僕の席はどこだろう。
近くにいた中国人駅員に聞くが、いいから乗れと相手をしてくれない。とりあえず乗り込んだが、恐らくここだろうという車両には誰も乗っていない。
しょうがないので車内をうろついていると、おばちゃんが現れ、ついて来いと手招きする。
誰だろうと疑問に思ったが、とりあえず付いていくことにした。ここだと指差すコンパートメントに入ると、一人の高齢の欧米人男性が座っていた。
挨拶をしたところで、さっきのおばちゃんに「パスポート」と言われたので差し出そうと思ったが、そもそも誰か分からないので困った。
欧米人男性に誰か分かるか聞いたところ、多分スタッフだから俺もパスポートを渡したとのこと。
前に倣えで僕も疑いながら差し出した。コンパートメントは向かい合わせの二段ベットになっており、4人で使用できるようだが、ここは2人で使えるようだ。
「私は高齢だから上段ベッドじゃなくてよかったよ」
と同室の彼がいうので、何歳か聞いてみると、84歳とのこと。うちのばあちゃんと同い年くらいだ。
彼はアメリカ人らしく、今は中国の北京からドイツのベルリンまで電車で旅しているらしい。
「妻は付いてきてくれなかったよ」
と嘆くが、そりゃそうだ。
ともかくエアコンが効いていない車内は暑すぎる。彼も暑くてしんどいと言うので、エアコン付けてとさっきのおばちゃんにお願いしにいくと、列車が動かなければエアコンはつかないとのこと。
僕はとりあえず持っていた小型扇風機を出し、彼に向けた。
「いやいや、悪いよ」
と遠慮するが、僕は扇子も持っていたので、僕はこれでいいと伝えると、ありがとう、と気持ち良さそうに涼み始めた。
彼はポツリポツリと話し始めた。
「第二次世界大戦でアメリカは大きなミスをした。日本に対して核爆弾を使うべきじゃなかった。」
さあ、どう答えよう、アメリカに忖度した学習を受けているものとしての模範回答は「戦争を終わらせるために核爆弾は必要でした。」だが、自分は生まれてさえいなかったので日本人を代表して言えることなんてない。
僕はたまたま日本に生まれた今を生きるただの日本人であって、かつてアメリカと戦った日本軍ではない。
似たような話で、バブル崩壊で日本は不景気になったとかいうが、崩壊後に生まれた僕は好景気だったとかいう時代を知らないというのが正直な話だ。
このおじいさんだって、84歳ということは、戦時中はまだまだ子供だっただろうから、直接どうこうした人ではないのだ。つまり、僕たちは第二次世界大戦時の敵国の国民でありながら、そんなこと全く関係ない世代なのだ。
つまりある意味、第三者目線で話をすることができる関係なのかもしれない。大切なのはこれからの話であって、過去の話をとやかく言える立場ではないのだ。
大多数の日本国民がそうであるように、心象としてもアメリカに敵対意識や憎しみなんてもちろんないし、普通に日本で暮らしていたら、むしろポジティブなイメージを持っている。アメリカかっこいいよね。
それにしても、日本や日本人について聞かれた時に、Weで答えることに違和感がある。僕は日本人だけど、僕が日本人を代表しているように話しているような気がして。
「過去には色々あったみたいだけど、今はとても良い関係だと僕は思っています。うちのばあちゃんも、戦後に進駐軍のアメリカ兵にナンパされたって今でも自慢してきますし。」と冗談を添えて返した。
彼はホッとしたようにニッコリ微笑んでいた。
「私はジェリー。君は?」
車両がゆっくり進み始めた。話を急ぐことはない。到着は明後日の朝だ。
せんまさお
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