エアコンが止まったからだろう、暑くて目が覚めた。向かいではもうアメリカ人のジェリーが起きて座っている。
「ここで中国の出国手続きをするらしい」
電車は国境の駅、阿拉山口駅に到着している。ここでパスポートに出国のスタンプを貰うのだが、その前に税関職員が電車のチェックをするらしく、それまで待機らしい。
僕は電車を降り、ホームで一服すると駅のトイレを借りた。電車のトイレは停車中は使用禁止らしい。トイレは線路直結だからだろう。つまりウンコをすると線路に落ちる。いま電車でウンコをすると駅のホームがウンコ臭くなるから使用禁止なんだろう。
電車に戻ると、昨晩のおばちゃんスタッフが制服に着替えていた。急に旧ソ連圏感のある出で立ちになった。
中国の税関職員が電車に乗り込んでくる。くまなく探しているようで、天井の裏まで点検している。薬物密輸とかのチェックだろうか。
次は入国管理局による我々のチェック。噂通り、携帯とカメラの画像チェックが始まった。携帯は謎の機械につながれている。
データを抜いているんだろうか、少し不安だ。意図せず写してはいけないものが写ってしまっていれば身柄の拘束もあり得る。
その間、質疑が行われる。
「中国はどこに行った?」
「今回は北京と洛陽と西安と成都と…えーとえーと」
「もういい」
なぜか止められた。そしてその移動に使った交通機関のチケットを出せとのこと。そんなもん残している自信はないが、持っているチケットをまとめて出した。
モンゴルに一度抜けた以前のチケットも混ざっており、上海に行ったのか聞かれる。今回は行っていないと伝えると持っているチケットを全部出せと言われた。ズボラなのでレシート類とかとごちゃ混ぜの紙束を渡した。
今度は電車から降りろと全員降ろされた。荷物を持って駅構内に入る。パスポートを回収され、入国管理局からのチェックが再び始まる。
「中国はどこに行った?」
また同じ質問だ。
今回は北京と洛陽と西安と成都と蘭州と敦煌とウルムチです、と答えた。
「泊まった宿はどこだ」
そんなもん知るか。中国では予約サイトを使っていたので、履歴があったので見せたが、英語表記だったからか、ウルムチの宿だけ見られて終わった。
「中国に知り合いはいるか」
一人いますと答えると、電話番号を教えろと言われた。
「知りません」
本当に知らないのだ。日本の友人が上海に住んでいて、上海で家に泊まらせてもらっていたが、日本の電話番号しか知らない。というか、最近は電話番号の交換とかしないだろう。
「いつ会った?」
というので、今回の中国旅では会っていないと伝えると、声を上げてものすごく驚かれたが意味がわからない。中国人は約2週間の間に友達全員に会う習慣でもあるんだろうか。
「中国に来たのは初めてか?」
さっきから違うと言っているのに何を聞いてるんだろう。
確か5か6回目ですと答えた。
「何で覚えていないんだ?」
というかそのパスポートのスタンプを数えれば分かるだろう。ちなみに後から数えたら8回目だった。第三国への飛行機の乗り換えと香港、マカオの入出国もあったので。
「持っている本を全て出せ」
僕は本一冊とKindleを出した。本は日本の本で、こっちはKindleという電子書籍リーダーです、と紹介。
「これはKindleだな?」
だからそうだって言っているだろう。電源をつけて本のリストを見せた。
「内容を説明しろ」
読んでない本の内容をあなたは説明できるのですか?と聞いたら黙り込んだ。そもそも本人に説明させるなら意味ないだろう。
「携帯とカメラを出せ」
何回やるんだろう。正直な話、お互い分かっている話だろうが、先にオンラインストレージにアップロードして端末から消せば検閲の意味はない。本当にやばい写真を撮ったのならそうするだろう。
再び携帯を機械に繋がれ、待っている間、顔写真の撮影と指紋の採取が行われた。乗客の間には鬱憤が溜まり、あまりにバカバカしい入国管理局のチェックに笑いが起きていた。
仕事でやってるんだろうからかわいそうだが、ここまで酷いお役所仕事はバカにされて然るべきだ。
顔写真を取りに向かう人をみんな声援で送り出し、乗客の間に謎の一体感が生まれていた。中国人の乗客もわずかにいたが、彼らは珍しく静かに座っていた。
ようやく全員分のチェックが終わり、パスポートを返され、荷物を持って電車に戻れと言われた。
「ねえねえ、荷物のチェックされた?」
オーストリア人の奥様が声をかけてきた。そういえば荷物スキャンの機械があったが、僕ら外国人の荷物はチェックされていない。
なぜだか分からないが、中国人のみ荷物チェックを受け、顔写真の撮影や指紋の採取でバタバタしていた我々の荷物にはノータッチでチェックが終わったのだ。
本当に訳が分からんなぁ、と乗客同士で呆れながら電車に乗り込んだ。
ここで2時間半もかかってしまった。これは予定通りなのだろうか。
1時間もしない内だっただろうか、再び電車が止まった。
今度はカザフスタン側の入国審査だ。迷彩服を着た人達が乗り込んでくる。カザフスタンは賄賂が有効だと聞いていたので、面倒なことになればお金で解決しようと思っていた。
「荷物を全て確認する」
コンパートメントから追い出され、先にジェリーの荷物チェックが始まった。
「北京からベルリンまで電車で旅しているんだ。ペラペラ。」
彼はアメリカ人なので速い英語を話し、かつ高齢のため滑舌も少し悪く、話を聞き取るのが難しい。
入国審査官達はおしゃべりなジェリーに困惑したのか、それとも高齢なので危険な人物ではないと判断したのか、さっさとチェックを完了して僕の番になった。
カバンから荷物を一つずつ出して説明していく。
「これはゴシゴシタオル、身体を綺麗にするものです。これは箸、食事に使います。これはコップ、飲み物を飲むときに使います。」
次々と説明していると、タバコをジロジロと見始めた。どうやら欲しいらしい。入国審査官にあげるのはシャクだが、これで検査をすっ飛ばしてくれるならと一箱あげた。
その後は案の定緩いものだった。ミュージックプレイヤーで日本の音楽を聴かせてくれとか、ミュージックプレイヤーもくれとかふざけ始めた。
代わりにマクドナルドから持って帰ってきたケチャップをあげると言うと、それはいらんと笑って返された。
そのままチェックが終わりかけたとき、入国審査官の目が鋭くなった。
「これは何だ?」
ポカリスエットの粉だ。風邪をひいたときに効くものだ、と伝えると、「薬か?」と聞く。いや違うと答えると、「ドラッグか?」と。いやそれはもっと違う。
開けてもいいか聞かれたので、渋々オッケーを出す。保存がきかなくなるからやめて欲しいが、しょうがない。
指先で粉をつまみ、慎重に前歯の表面に塗る。これが麻薬チェックの方法なんだろうか。ジワジワ口の中で溶かしているようだ。
「甘いでしょう?」
と聞くと、「うん、甘い」と言い、僕の荷物チェックは終わった。
パスポートが返される。カザフスタンの入国スタンプが押されている。ついにカザフスタン、中央アジアへやってきたのだ。
1時間程度で再び電車が止まった。今度はなんだと思っていると、例のおばちゃんがやってきた。どうやら車輪を交換するらしい。中国側とカザフスタン側で線路の幅が違うらしい。
駅で少しゆっくりできるとのことで、ジェリーは冷たい水が欲しいと出て行った。僕はドルもカザフスタンのお金、テンゲも持っていなかったので、例のおばちゃんに中国の人民元から少額を両替してもらった。
僕も冷たい水が欲しかったので買って電車に戻る。まだ他の乗客はあまり戻ってきていない。食べ物は買い込んでいたものがあったので、それを車内で食べていると電車が進み始めた。
まずい!ジェリーがまだ帰ってきていない!というか乗客がほとんどいない!と慌てて例のおばちゃんの所へ行くと、これから車輪を交換するからまた駅に戻るとのことで、とりあえず座っとけと言われた。
ガタガタと前後に電車が動く。どうやって変えているのか分からないが、まあまあ揺れる。
しかし冷たい水がうまい。車内は灼熱。サウナとどっこいどっこいくらい暑い。持参の小型扇風機で凌ぎながら昼飯を食べた。
車輪の交換が終わり、駅に戻る。ジェリーにどこに居たんだと聞かれるが、こっちが聞きたい。
二人だけのコンパートメントだったが、ここでカザフスタン人の夫婦と子供達が入ってきた。
子供がいたら下の段の方がいいだろうと提案し、僕はジェリーの上段に移った。子供の一人が僕の足を抱え込んでくる。
動けないので、ごめんな、とそっとその手を解く。しかし再びしがみついてくる。なんだろうな、と不思議に思っていると、父親が、「この子は目が見えないんです。同じコンパートメントで大丈夫ですか?」と。
僕とジェリーは全く問題ないので気にしないでくださいと伝えた。大きな荷物と子供を抱えて乗り込んできた母親が大汗をかいて暑そうにしていたので、扇風機を貸してあげた。
さすが母親、自分に構わずまず子供に向けてあげている。こういうのいいよね。
夫婦は3人の子供と乗ってきたようで、7歳と4歳、3歳の子供らしい。みんなかわいい。3歳の女の子は僕の扇子が気に入ったようで、プレゼントしようかと思ったが、やっぱりあげない。
少しの間、翻訳アプリを使ってみんなで話していた。
父親が僕たちに仕事は何をしているのか聞いてきた。
「僕はもう定年したんだ。IBMというアメリカのコンピュータの会社にいたんだ。」
このジェリー、超エリートであった。ジェリーが働いていた頃のIBMなんて世界一の企業だったと言っても過言ではないだろう。全盛期のIBMを知る人物が僕のベッドの下にいる。
僕は、めちゃすごいじゃないですか、と驚くと、「いや、僕はただ数学を勉強していたから会社でも計算していただけだよ」と謙遜する。通りで知性が感じられる人な訳だ。知性があるのだから。
しばらくすると、列車は走り出し、クーラーが効いてきた。ジェリーと僕は、国境越えの疲れで寝てしまった。
起きると夕方、夫婦と子供の姿はない。もうどこかの駅で降りてしまったのだろうか。
ジェリーが窓の外を眺めている。
「月がきれいだ」
窓の外は砂漠。地平線の少し上に大きな月がもう出ている。
コンパートメントを出て反対の窓を見てみた。今まさに夕日が沈んだところのようで、ずっと見ていたらしいオーストリア人グループが写真を見せてくれる。僕が起きたのは少し遅かったようだ。
干しぶどうとソーセージ、煮卵とパンを食べる。ところで果物も肉も卵も検疫的に大丈夫だったのかな。そういえばダメだった気がする。でももう食べてしまったから証拠はない。
窓の外を眺めながら、ジェリーとのたわいもない話はいつまでも続いた。
せんまさお
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