Hロさんに見送ってもらう。なんだか無性に寂しい。旅の出会いというのは運命チックなもんで、学校や職場とは違って、自分の行動が1日でもズレたら、一生会わなかったであろう人との出会いがあるのだ。だからこそ余計に大切に思える。
名残惜しいが、幸いにも僕らは日本人なので、日本で簡単に会うことができる。こんだけ旅してるんだから、日本国内なんて大抵はどこへ行っても外出くらいのかんじだろう。
今日は国境を超えてタジキスタンへ向かう。情報が錯綜しており、どうやって行くのかよく分からない。
近くの長距離マルシュルートカ乗り場へ向かってみるが、どうやらバスターミナルから乗合タクシーが出ているらしい。
市内を走るマルシュルートカでターミナルへ向かう。
ターミナルへ着くと、すぐに国境行きの乗合タクシーが見つかった。
旧ソ連圏ではロシア語が通じるようで、国境はグラニーツァと言う。なんだか美味しそうな名前だ。
ちなみに日本人はヤポンスキーと言うらしい。なんかかわいい響きというかマヌケな語感で好きだ。よく中国人かと聞かれるので、僕はヤポンスキーと答えるが、自分で言ってて笑える。
乗合タクシーの乗客が集まるまで待つが、まさおスキーが最初の乗客だったらしく、灼熱の大地でひたすら待つ。
たぶん前の乗合タクシーが出たばかりだったんだろう、全く集まらない。近くの無意味に集うおじさん達と一緒に一服しながら時間を潰す。
すると物乞いがやってきた。どうせ小銭は両替できないので、その辺りにいた物乞いに配って歩く。大変感謝されたが、水も買えない金額なので申し訳なくもある。
2時間待ち、ドライバーが諦めた。人数は足りていないが出発だ。
途中、近距離の客を拾ったり、物の運搬を請け負ったりしながら進んでいく。ただ乗せるだけじゃなくて色々工夫しながら稼いでいるらしい。
キルギスの中にはタジキスタンとウズベキスタンの飛び地がある。武装勢力が潜伏しがちなことと、タジキスタンの飛地を通る場合、取得したビザはシングルなので一度通過すると無効になることから、飛地を避けて走る事を事前に確認しておいた。
確かに飛地を走らないルートで進んでいたが、道路は飛地ではなく、ウズベキスタンの国土をかすめて走っている。なんなら地図を見る限り、ほんのちょっとウズベキスタンを通るルートになっている。
あれ、これ大丈夫なん?入国審査とか何かあるんかな、と心配していたが、車は本当に一瞬ウズベキスタンに入り、そしてそっと出た。これその気になれば審査なしでウズベキスタンに入れる感じのやつだな。島国の国民からすれば不思議な感覚だ。
4時間半で国境についた。一緒の車に乗っていたタジキスタン人のウメット君に教えてもらいながらイミグレーションへ歩く。
なぜかイミグレーションは閉鎖されており少々待つ。待っている人たちにヤポンスキーだと紹介して持て囃されていると、イミグレーションは開いた。
出国審査は顔を見るだけ。
「タカシ…」
そう呟いてニッコリ笑顔でスタンプを押してくれた。
国境は舗装されておらず、砂漠のようなところを歩いて行く。なぜか畑を耕しいてる人がいたが、国と国の狭間で畑って作れるのかしら。無国籍野菜?
タジキスタン側では印刷しておいたビザとパスポートを提出。後ろから来た、さっき一緒にイミグレーションが開くのを待っていたおじさんが、彼はヤポンスキーだと入国審査官に説明してくれる。パスポート渡してるからたぶんもう知ってる。
入国審査官は僕の顔写真を撮り、ウェルカムトゥータジキスタンと言ってスタンプを押してくれた。
イミグレーションの門番もウェルカムトゥータジキスタンと見送ってくれた。
ゲートを出るとタクシーの山だ。タジキスタン語でまくしたててくるが、あいにくタジキスタンの通過ソモニは1ソモニも持っていない。
両替所があるかとおもっていたが、周りにはレストランが1軒あるのみ。ダメ元でレストランで両替を頼んだら、近くのおじさんが両替してくれた。しかも図々しくレートの交渉をしたら、良いレートで交換してくれた。ついでにトイレまで借りていく。
タクシーは断って、マルシュルートカで一気にホジェンドという近くの大きな街へ行こうとしたが、18時現在、マルシュルートカはもうないとのこと。
ははーん、また嘘ついてるなこの嘘つきめ、と思ってゲートの門番やレストランのおじさんに聞いてみたが、どうやら本当にマルシュルートカはもうないらしい。
やむなくタクシードライバーと交渉したが、ホジェンドまで行くなら50米ドル(5,300円程度)だとのこと。そんなもん払える訳がない。
シェアしたいからいつまででもここで待つと伝えると、こんな時間にホジェンドまで行くやつがここに来る訳がないと言われてしまった。
確かに国境を超えてくる人はまばらで、どうも集まりそうにない。
近くの街イスファラまでいけば、ホジェンド行きのマルシュルートカはまだあるとのことなので、とりあえずイスファラまで行くことに。
タクシー代は10米ドル(1,060円程度)と言われたが、ずっとゴネていたら10ソモニ(110円程度)まで下がった。やるじゃん自分。
知らないおじさんも一緒に乗ってきた。少し英語が話せるようでおしゃべりする。
10分ほど走ると、「ソーリー、サンキュー」と言って素早く下車して走り去ってしまった。
どうやら10ソモニ(110円程度)にはこのおじさんの運賃も含まれていたらしい。やられた。
タクシーで走ること15分。イスファラという街のマルシュルートカ乗り場に着いた。ドライバーがホジェンド行きのマルシュルートカの前まで行ってくれたおかげですんなり乗れた。
約一時間後、ホジェンドには着いたが、街まであと5kmほどという微妙な位置だ。重い荷物を背負って暑い中歩くのは無謀だ。
マルシュルートカを降りた場所にバスがやってきたのでとりあえず乗ってみた。それがピッタリ行きたい方向へ進んでくれた。
隣の席の青年が言う。
「ウェルカムトゥータジキスタン」
なんだかほっこりしてバスを降りる。僕は頻尿なので移動中は水分を控えていたが、もう思う存分飲んでも良い。道端に置かれた冷蔵庫でコーラを買っていると、冷蔵庫の裏から警察官が出てきた。
「どこから来たんだ?」
ああいきなり面倒なことになりそうだ、と身構え、僕はヤポンスキーだと答えた。
「嘘言うなよ、ウズベキスタン人だろ」
そんなことはない、僕はヤポンスキーだ、と答える。
「パスポートを見せろ」
中央アジアの警察は腐敗していると聞いている。小遣い稼ぎにイチャモンパターンかと諦めかけたが、僕はヤポンスキーだと言い張り続けた結果、
「ウェルカムトゥータジキスタン」
と今日4回目の歓迎を受けた。
「コーラの代金は俺が払うよ、兄弟」
僕はコーラを奢ってもらった。疑って申し訳なかった。なんやメッチャええ国やんけ。
宿に着くとクーラーが効いていた。中央アジアに入って初のクーラー付きの宿だ。嬉しくってスタッフを褒めちぎる。
朝飯のピーチパイしか食べていなかったので近くのバーガー屋に入る。スタッフになかなか注文が通じずに困っていたら、近くのおじさんが助けてくれた。ほんまええ国やな。
クーラーの効いた部屋で寝る。最高やで。
せんまさお
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