誰かがゴソゴソする音で目覚めた。久しぶりに寝心地のいいベッドで寝たからか、体調も昨日よりは少しマシな気がする。
不調そうなら延泊しようと思っていたが、もう出ることに決めた。
朝飯を掻き込み、バスターミナルへ向かう。次の目的地、タブリーズ行きのバスは昨日到着したターミナルとは違うところから出発する。昨晩テヘランに到着したときに確認しておいてよかった。
宿を早く出てきたが、2時間後に出発するバスしか見つからなかった。時間を持て余していたので、近くにあったアーザーディ塔というペルシア建国2500年記念で作られた塔へ行ってみた。
今日も何か祭のようで、塔に登る入り口は閉まっている。塔の周辺には芝生や花畑が広がっており、イラン人の憩いの場となっている。
僕もくつろごうと思ったが、日陰に入らなければ暑くてたまらないし、日陰に入ると記念写真を撮らないかと声をかけられる。外国人はゆっくりできなさそうだ。
すぐにバスターミナルに帰ることにした。帰る途中、イラン人が喧嘩をしていた。小さなおじさんが、大きなガタイのいい若者を突き飛ばしている。いい歳して暴力とはみっともない。若者の方は手を出さず、口で応戦しているが、よっぽど理性的だ。手を出すなんて人間として生きることを放棄している。
近くでジッとその光景を見つめていると、小さなおじさんはこちらを見て、バツが悪そうに喧嘩をやめた。外国人にこんな醜態を見せたことの恥くらいは感じるようだ。
バスターミナルで待つが、バスは遅れているようだ。窓口で何度もまだかまだかと確認する。アナウンスされてもペルシャ語だから分からない。
「まだまだ」
なぜか日本語を話せる窓口のスタッフに座っておけと言われる。
5回目の確認のとき、「バスきたよ」と言われたが、やっぱり何度も確認してよかった。こんだけ聞いててもあちらから案内はしてくれないんだから。
バスがたくさんあるので、これかな、と思ったバスのスタッフに、タブリーズ行きですか?と声をかけた。
「…」
こちらをチラリと見て、無視された。英語が通じないだけかと思って、もう一度、タブリーズ?とだけ地名を言ってみたが、やはり無視される。
肩を叩くが、無視される。肩を掴むが無視される。目の前で声をかけても無視される。なんだこれは、意味がわからない。
それでも確認しないことには乗れないので、チケットを見せてもソッポを向かれて無視される。
困っていると、他の客がやってきた。その人にタブリーズ行きで合っているか聞いてみると、合っているとのこと。どこから来たのか聞かれたので、日本からだと答えると、今まで無視を決め込んでいたスタッフが、急に笑顔で声をかけてきた。
本当に信じられない。ここまであからさまに態度が変わるんだ。僕をどこの国の人だと思っていたんだろう?そして乗客なのに無視するほどその国の人が憎いんだろうか?
イランに来てから徐々に積もってきた気持ちがある。イランには「ある振る舞い」のことを悪い行為だと思っていない人が多い。
道を歩いているだけで一日に何回も「チンチャンチョン」とケラケラ笑いながらバカにしたような声が飛んでくる。これは東アジア人の言語、主に中国語がそう聞こえるかららしく、からかって言っているらしい。何語だろうが構わないが、なんで歩いているだけでからかわれないといけないのか。
そして僕が日本人だと分かると手のひらを返したように日本はナイスカントリーだとご機嫌をとってくる。それって変だよね?中国人のことはバカにしてよくて、日本人だとナイスなの?
アゼルバイジャンでも多少の差別を受けることはあったけど、イランでは特に顕著だ。これは予想だけど、人種差別しちゃいけない、人種差別はかっこ悪い、人種差別は最低の行為だ、という意識が低いんだろう。
僕は数日前から怒りのゲージがマックス状態で推移しており、チンチャンチョン発言を耳にすると相手を呼び止め、問いただす運動をしている。相手が子供だろうが車に乗っていようが全員だ。
なぜ言ったか確認し、中国人だと思ったと言えば僕は日本人だと一応訂正した上で、中国人にも僕にも失礼だから言わない方がいいと注意している。
大体が声をかけても逃げていくから、やっぱりやましい気持ちがあるんだろう。
そもそもいきなり国籍を言ってくることですら失礼じゃないか。
例えば日本で欧米風の顔をしている人に、「やあアメリカ人」と声をかけたりしないだろう。南アジアから中東風の顔をしている人に「ナマステ」と声をかけたりしないだろう。
世界共通語は英語だと言われているんだから外国人に対する声かけはハロー、ハイ、エクスキューズミーとかでいいじゃないか。断言できるが、少なくともハローを知らない人なんて滅多にいない。なぜならハローと言ってハローと返ってこなかったことはないからだ。
まあ悪気があって言ってくる人ばかりじゃなく、親しみを持って中国人とかニーハオとか声をかけてくる人もいるので、全否定はしたくないが(気になるならまずは決めつけずに聞いて欲しいが)、「チンチャンチョン」に関しては失礼な発言だと決めつけていいと思っている。
そして「チンチャンチョン」は目を合わせて言われることは滅多になく、すれ違いざまやどこか遠くから突然投げつけられるのだ。
とにかく失礼なことだと分からないなら教えるしかないので、全員をひっ捕まえて問いただす運動をしている。
そしてヒステリック気味の僕は、このバスのスタッフにもそういった差別意識があったのではないかと疑いをかけ、なんで無視したの?と聞いてみた。
「気づかなかった、ごめんごめん」
そんな訳ないだろう。肩を掴まれて気づかないことなんてあり得るのか?僕はバス会社へ行って文句を言おうと歩き始めたが、ピリピリしすぎかなと反省してバスに戻ることにした。
さっきのスタッフが無神経にもジャポニージャポニーと何か現地語で車内の人と話している。イライラする。
僕はただバスでタブリーズに行きたいだけだ。なんでそれを他の乗客に知らせる必要があるんだ。僕が日本人だからってなんだってんだ。韓国人だと何か困るのか?中国人だとマズいのか?モンゴル人だと誰かの迷惑になるのか?日本人だから大切にしなきゃいけないのか?ただの顔が平べったい東アジア人じゃダメなのか?もし僕がイラン人だったらどうだったんだ?
神経質に聞こえるかも知れないが、日々そういう些細なことが積もっていって疑問と怒りに変わっていく。こんだけ気にしてるのもどうかと思うが、他の旅人は気にならないんだろうか。僕はスルーできるほど大人になれない。
僕が日本人だからということで、スタッフに通路側の座席から窓側の座席に席を変えられた。気遣いなんだろうがもはやムカツク。
こんな嫌味なことばかり書いてイヤな感じだわ、と思われるかもしれないけど僕は構わない。旅の良いところも悪いところも知ってほしいから書く。あとついでに僕の良いところも悪いところも知ってほしい。僕の心の中は基本的に神経質で口が悪い。
不機嫌な僕に気づいたのか、隣のおばあちゃんが桃をくれた。それはありがとうございます。
しばらく寝て目が覚めると、おばあちゃんがヒマワリの種をくれた。それもありがとうございます。
少し話したが、英語は全く通じなかったので、身振り手振りで会話する。おばあちゃんはトゥーランさんという名前で、娘が僕と同い年とのことだ。ということはそんなにおばあちゃんでもないかもしれない。逆にうちの母がおばあちゃんの歳になったとも言えるのか。もしくは娘ではなく孫なのかもしれない。僕は明らかに年上に見える女性に年齢を聞くほど不躾ではないから真相はペルシャ湾の底。
今度はナンにクリームチーズを塗ってくれた。キュウリと一緒に食べたら美味しいらしく、キュウリも1本くれた。
マヨネーズなしのそのまんまキュウリをかじるのは生まれて初めてだ。なかなかにダイレクトにキュウリの味がするけど、確かにクリームチーズを塗ったナンに合う。というかクリームチーズを塗ったナンがなければキュウリ1本は食べられないかもしれない。
ふと思い出したのだが、学生の頃に新聞の訪問販売のバイトをしていたとき、あるおばあちゃんに家に招き入れられたことがある。いつも断ってばかりで悪いから、と何か食べて行きなさいとの好意を頂いた。
「どうぞ」
そこに出てきたのはトーストにヨーグルトを塗り、ちくわとキュウリ、バナナを乗せ、ハチミツをかけたものだった。カルチャーショックだった。これはもしかして訪問販売員に対する嫌がらせかとも疑った。しかし断ることもできず、頂くことにした。
しかしそれは予想に反して美味かったのだ。おばあちゃんも同じものを食べていたからこの家庭ではスタンダードな一品だったのだろう。
つまりは乳製品とパン、キュウリの組み合わせは意外とイケるということだ。
ナンとキュウリをバランスよく食べ終えた。お礼を再び伝えると、おもむろにもう1本キュウリをくれた。ぐぬぬ。
その後もビスケットやなんやかんやをくれた。どこの国のおばあちゃんも若い人は無限で食べられると思っているんだろう。でもありがとうございます。
途中休憩でパーキングエリアチックなところに止まった。降りてみると少し肌寒い。まだ暑かったテヘランから数百キロしか離れていないが、タブリーズはもっと寒いんだろうか。
日が暮れた頃にようやバスターミナルに着いた。トゥーランさんに別れを告げ、ひとまずターミナルの建物の中へ移動する。日が落ちると一気に寒くなったようで、長袖を羽織って宿に向かった。
今夜の宿も自分しか泊まっていないようだ。他の旅行者はどこにいるんだろう。街でも大して見かけないし、もしかしたらイランにはそんなにいないんだろうか。
オーナーはやたらと各国の旅行者が泊まったことがあるグローバルな宿だとアピールしてくる。イランの宿は営業頑張ってる感があっていい。
外は今日も祭で賑わっている。毎日何かの祭をしているようだが、本番は明日かららしい。嫌な予感がする。
せんまさお
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