かつての紛争時の物資輸送用の地下トンネルが博物館になっているらしい。行こうと思っていたがやめた。トンネルは街の外れにあるので遠いし、トンネルを見てもどうしようもないと思ったからだ。
とりあえず明日には街を出るつもりでバスターミナルへチケットを買いに行く。
途中、Holiday innが見えてきた。紛争時に唯一ジャーナリスト向けに営業されていたホテルらしい。

かつてスナイパー通りと言われた、歩けば確実に狙われた通りに面している。その通りに面した部屋は、銃弾が撃ち込まれて当時ボロボロになっていたらしいが、今は全く面影なく高級ホテルとして営業している。奇抜な黄色のデザインだけは当時のまま残されている。

ターミナルでチケットを買った後、歴史博物館へ向かった。ここでも紛争がメインの展示になっている。






















歴史の説明に紛争は欠かせない都市なのだ。よくここまで持ち直したもんだ。今では大きなショッピングモールもある。
街の中心に向かっていると、地面に血飛沫のような跡があった。

調べてみると、サラエボのバラと呼ばれているらしい。
紛争当時、砲撃で3名以上が亡くなった現場に残されているらしく、その砲撃跡に赤い樹脂を流し込んで保存してあるそうだ。その跡がバラに見えることからそう呼ばれているらしい。
ここで3名以上が殺されたのか。よく見ると、少し先にもサラエボのバラが咲いている。僕は避けて歩いていたが、サラエボ市民はその上を気にすることなく歩いて通る。もうどういう気持ちでもないのだろうか。

ラテン橋へ向かう。ここはサラエボ事件の現場。ここから第一次世界大戦が始まった。今は橋の脇に少しの説明書きがあるだけで、普通に生活の一部として溶け込んでいた。



いくつか教会やモスクがあるあたりの地区を歩いていた。ふと目に入ったのが銃弾(薬莢)を使って作った小物。お店の人に話を聞いてみると、実物を使っているらしい。





中には薬莢のフェイクで作ったものもあるらしいが、この店では本物を使っているとのこと。本物は真鍮でできているから磁石にくっつかないと見せてくれた。確かにくっついていない。フェイクも売っていたが、こっちは磁石にくっついた。なるほど。
薬莢はゴロゴロあったから、それを使って色んなものを作っていたらしい。今のものは紛争当時のものではないらしいが、手作りで雑貨を作っているそうな。
お土産に薬莢で作ったペンを買った。特に深い意味はない。シンプルにオシャレだったからだ。職人ってすごいな。
他にも色々と回ろうと思ったが、日が暮れるのが早い。暗くなってきたので宿に戻り、シーチキンマヨ醤油を作り、米、味噌汁、チキンで夕飯。ホールケーキの残りも食べた。意外と2日あれば食える。
なんだかなあ。寒いからかな。ただでさえ虚しいのに虚しさが増すなあ。

せんまさお

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