朝起きると、朝食が用意されていた。どうやら宿代に含まれているらしい。
謎のトロミがかったスープ状の深緑のやつと薄いナン。恐らくどこかで買ってきてくれたんだろう。
食べ終わって寛いでいると、クルディスタン人のサーディーとイラン人のアリが一緒に観光しないか、と誘ってくれた。
準備していると、宿にハンパない美人がやってきた。黒のヒジャブから覗く小さな顔、ハンパないなーと横目で見ていたらあっさりバレて挨拶をする。
準備が終わったとサーディーとアリに伝えると、じゃあ行こうかと、ハンパない美人も一緒に立ち上がった。
アリに「彼女なの?」と聞くと恥ずかしがって大げさに否定している。
ハンパない美人は二人の友人らしく、ブラホというらしい。近所に住んでいて、二人とたまたま知り合ったそうな。
ブラホの案内で観光スタート。
いきなり美しい建物が見えた。僕はカメラを構えて瞬時に構図を決め、写真に収める。
「それ銀行よ」
銀行だったのだ。
まずはHasht Behesht宮殿へ向かう。
「この入り口から前が普通の世界で、ここから先がパラダイスなの」
ブラホが説明してくれる。僕は探偵ナイトスクープのことを思い出していた。
日本の神社も鳥居を境に人間の世界と神の世界に分かれているので、なんか似ている。
余計な補修はされておらず、生に近い遺跡がそそる。所々、木材が使われているので、日本人からしてもなんかホッとする。
イマーム広場へ向かう。大きなモスクや何か分からないけどイスラムっぽい建物に囲まれた広場には馬車が走っている。
いくつかの建物に入ってみることにした。一つ一つブラホが丁寧に説明してくれる。英語が堪能でありがたい。
一つ一つの装飾が細かくて美しい。細かければいいと言う訳ではないが、仏教とは違って像がないのに、纏まって一つの完成が見える幾何学模様のイスラムの建築は不思議で吸い込まれそうになる美しさがある。数百年前にどうやって作ったのか見当もつかない。
モスクの中には修復中のものもあり、天井から外してきたなだらかなカーブ状の大きな屋根が地面に置かれている。
外せるんだ、という驚きと、近くで見たらこんなに大きいんだ、という驚きがある。これ何か分かる?と聞くので、スケボー場でしょ、と冗談を言ったら笑っていた。ウケた!
王様が聴く音楽を演奏する場所の天井は、モスクっぽいけど、音楽がうまく反響するような複雑な形をしている。デザインにも手を抜かない技術力の高さに驚く。
あるモスクの中で、ここで声を出してみて、と言われたので、「あ」と言ったらモスク中に声が響き渡った。すごい、ここでコーランを読めば声が響き渡るようにできてるんだ。「ぬ」とか言えばよかったと、自分のベタなチョイスに少し後悔した。
広場の後はチェヘル・ソトゥーン宮殿へ向かう。ここも木材が使われており、落ち着く。40本の柱の宮殿と言われているらしいが、20本しかない。なんでか聞いてみると、宮殿の前にある人工池に反射して倍に見えるから、という事らしい。オシャレかよ。
「これ以上歩き続けたら死ぬわ」
お茶屋さんに入ったブラホがつぶやく。タダでさえ暑いのに、全身黒で包まれていたら相当に暑いんだろう。
ブラホはオシャレなフラペチーノみたいなやつ、アリは甘い素麺みたいなやつ、サーディーはアイス、僕はお茶を頼んだ。イスファハーンといえばこれ、らしい「象の耳」という名前のお菓子もみんなで頼むことにした。
象の耳は揚げた一口サイズの薄いパンをシロップに漬けたものの味がする。たぶんそうやって作ったんだろう。
「イスラム教徒には二種類いるの。モスクの壁画の顔が削られていたでしょう?ああいうことはやっちゃダメよ。」
訪れたモスクには壁画があった。しかし偶像崇拝が禁止されているからか、ほとんど顔が消されてしまっていたのだ。しかし歴史的価値を考えると削るのはどうかなとイスラム教徒でない僕は思った。
イスラム的にはどっちが正解かは分からないけど、大多数のイラン人は彼女が言うように歴史的価値のある一種の美術を破壊することをよく思っていないらしい。
現にいくつかの壁画は修復されてきており、顔もしっかりと書かれている。
「どうして日本は原子爆弾を落とされたのにアメリカと仲がいいの?」
この質問は非常に難しい。日本語でも伝えることが難しいんだから、僕の英語力ではうまいこと言い表せない。やはりイラン人はアメリカをよく思っていないらしい。事あるごとに経済制裁の話が出てくる。
ヒロシマ、ナガサキ、とサーディーが口にしているが、そんなに有名な話なんだ。今は原子爆弾の影響はないのか、と聞くので、今は問題ないよと答えた。
どうやらイランのラームサル(英語だとラムサール。湿地保護で有名なラムサール条約が結ばれた場所。)という場所は放射線が強い地域らしい。原子爆弾の影響ではなく、温泉に含まれる自然の放射線らしいが、調べてみたところ、世界で最も自然放射線量が強い地域らしい。それで日本のことも気になったとのこと。
ちなみにアメリカ政府に不満はあるが、アメリカ人に会ったことはないからそこは判断できないらしい。そりゃ確かにそうだわな。冷静だ。
「プリウスを買うためには16年も働かないといけない。とても買えないよ。」
電卓を叩きながらサーディーが言う。彼は農家で働いていたらしいが現在は失業中だ。夢は地元のクルディスタンで車の修理屋を開く事。月給3万円のイランではいつまで経っても大好きなGT-Rはおろかプリウスも買えないと笑っている。身体がとにかくデカくてゴツいが多分今まで僕が出会った全ての人の中で一番穏やかな性格をしている。
「日本ではいつ結婚するのが普通なの?」
平均30歳くらいかなぁ、と保身のために答えておいた。逆にイランは?と聞くと、宗派によって異なるとのことらしい。
「早いと9歳よ」
僕は聞き間違えたのかと思ってブラホに聞き返した。
「9歳よ」
詳しいことは分からないが、宗派によっては9歳から結婚可能で、実際に結婚している人もいるらしい。アンビリーバボーだ。
「あなたはピッグを食べるの?」
これだけ英語が堪能なのに、ポークという単語を知らないのは生活に豚肉が存在しないからだろう。
「豚肉は身体に悪いらしい」
アリが言う。
「羊は食べるの?」
ブラホに聞かれたので、食べることは食べるけど、あんまり普段は食べないよ、と答える。
「羊は、なんて言うか、口に入れた時のあの、なんて言うんだろ、風味がいいのよ」
ブラホはとにかく羊が大好きらしく、なんか羊の話をしながらニヤケている。
「キャプテン翼見たことある?翼は私の理想の男よ」
なんか毎年イランで再放送されているらしい。おなじくドラマ「おしん」もイランで人気らしく、いろんな人からおしんが好きだと言われる。
水戸黄門のアニメもやっているらしい。そんなの存在すら知らなかった。
3人とも「この紋所が目に入らぬか」のポーズをして笑っている。
店主が食器を下げにきた。そろそろ観光に戻ろう。
イランはバイクの台数が多い。結構ルール無視で走るバイクが多いし、歩行者もルールを無視するので割と危ない。
「よく轢かれそうになるから自分の身は自分で守って」
轢かれそうになったブラホが言う。無事ジャーメ・モスクに着いた。大きなモスクだ。
アリがお祈りするらしい。せっかくなので、とお祈りの仕方を説明してくれた。
まず身体を清めるために右手、左手、顔、足の順に2回ずつ洗うらしい。そしてお祈りの場所に移動して集中。
なにか小さい声で言っている。ブラボの説明によると、これからお祈りしますよ、と言っているらしい。
立って祈り、頭を下げて祈り、頭を地面につけて祈る。この辺の順番はよく覚えていないが、あんまりお祈りをじっくり見るのも失礼かなと思ってこれまでそんなに見たことがなかったので貴重な機会だ。とても綺麗な行為だと思った。
僕はふと気になって聞いてみた。
「他の宗教をどう思うの?」
ブラボは少し考えて、
「良いと思うわよ。あなたは仏教徒でしょ?人を大切にする良い宗教だと思うわ。」
なんだ、僕らと同じじゃないか。違うと分かっていても、どこか一部の過激な人達のせいで、他の宗教を受け入れるのが難しい宗教なのかなと勝手なイメージをボンヤリと持っていたが、やっぱりそんなことなかった。
そもそも宗教が争いの種になってはならないだろうし、きっと神様もそんなこと望んでないだろうからこれでいいんだろう。
なんとなくモスクを訪れることに申し訳なさというか気まずさを感じていたが、失礼のない限り、イランでは受け入れてもらえそうだ。ともかく、敬意を持ってイスラム社会に少しでも馴染んでいけたら幸せなことだ。
彼らは最後までイスラム教を僕に勧めてくることはしなかった。しかし、お祈りを見せてくれたこと、なんなら写真撮ってもいいよ、と声をかけてくれたこと。イスラム教の好きな教えを教えてくれたり、マナーを教えてくれたりと、手厚くもてなして下さった。自然とイスラム教に対する好意が芽生えてくる。
一旦解散し、夜はアリがライトアップされた橋に案内してくれた。水面に反射してとても美しい。
どうやら普段はこの川には水がないらしい。今年は雨がよく降ったから川が復活したとのこと。
「君はラッキーだね」
僕は話を膨らませるのが得意だ。それは嘘ついて盛るという意味ではなく、一つの話題から他のいくつもの話題に広げるのが得意なのだ。
逆に話をまとめるのが苦手だ。今日あったこと、今日ブラボ、アリ、サーディーから受けた数え切れないほどの好意をうまくまとめて伝えることができない。
この表現しきれない、なんとも穏やかで優しい気持ちは僕だけのものにするしかなさそうだ。心の底からありがとう。
せんまさお
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