ゲルの中央には薪ストーブがあり、煙突はゲルを突き破って空に伸びている。おかげで寒さを和らげてくれるが、それでも寝ている間に薪が切れると体の末端から冷えが襲ってくる。
ウランバートルでは日夜問わず半袖Tシャツで過ごしていたが、ここでは夜がとんでもなく冷えるようだ。いずれ訪れるテント泊が恐ろしい。
トビーの姿はもうない。ゲルを出ると知らないおばちゃんに呼ばれて朝食を頂く。食パンとリンゴの焼き菓子、そして酸っぱいミルクティー。それにしても今のところ誰が誰なんだか全く分からない。
食パンは保存を効かせる為か、少しハード系っぽい。ブルーベリージャムとバターを塗って食べる。バターはどうやらヤクの乳から作ったものらしい。全くしつこくなく、塗るというよりパンに乗せて食べる。
りんごの焼き菓子もバターで脂ぎっているがサクサクフルーティーでおいしい。ミルクティーが酸っぱいのは昨晩飲んだ酸っぱいお茶を使っているからだろう。そのお茶の正体は分からない。
朝食を食べると暇なので少しおばちゃんのお手伝いをすることになった。スコップと荷車を渡され、家畜のウンコを集める。辺り一面にウンコが落ちている。ヤクや馬、羊、ヤギのウンコなど大小入り混じっており、ウンコ不可避である。恐らく1㎡あたり50個はウンコが落ちている。
スコップでウンコを掬い取って荷車に放り込むが、日が経ったウンコは地面にへばり付いて引き剥がすのに力がいる。腰を入れてスコップで剥がし取る。ヤクのウンコは巨大なのであっという間に荷車がいっぱいになる。集めたウンコはウンコ置き場にまとめておく。何に使うんだろうか。肥料や燃料しか思い当たらないが、畑はないしストーブは薪を使っているので分からない。
次はヤクの乳絞りの手伝い。ヤクは乳首が牛より小さいので指先で摘んで絞る。おばちゃんのようにビュービュー絞れず逆に邪魔になるので、おばちゃんが乳を絞る間、子ヤクが邪魔しないように縄で縛る仕事をすることに。
子ヤクと言っても力が強い。首に結んである縄を引っ張り移動させる。前後4本の足で踏ん張るもんだから全く動かない。全力で縄を引っ張り、なんとか親ヤクと引き離すことができた。なんとなくかわいそうだけどそんなこと言い出すとキリがない。家畜に対しては鬼になろう。
トビーが戻ってきた。滝に行っていたらしい。というか歩いていける距離に滝があるんだ。見渡す限り草原と川なんか流れてない丘しかないんだから場所の検討すら付かない。
知らないおじさんに呼ばれたので少し離れた場所へ向かうと馬がいた。言われるがまま繋がれたロープを引っ張ってゲルの近くまで連れて行く。
どうやら今日は馬に乗るトレーニングをするらしい。そりゃそうだ、馬の乗り方なんて知らない。乗ったことはあるが、馬旅となると乗るの意味合いが違うだろう。
ウランバートルの宿で馬に乗る時の注意点兼誓約書にサインした。それによると、馬に近づくときは必ず左側から近づく必要があるらしい。馬は繊細らしく、驚くと蹴り飛ばされる恐れがあり、蹴られると最悪の場合死ぬ。
恐る恐る左側から近づく。僕の馬は茶色の毛で顔に縦の白い線が入っている馬面だ。かっこいい。
鐙に左足をかけて一気にまたがる。ゾウさんほど高くはないが落ちると痛そうだ。知らないおじさんが先導し、僕たちは滝に向かうことになった。
馬が進み出すとお尻が痛い。小走りになるともっと痛い。リズムを合わせてお尻を浮かせる。落ちないように鞍についている金具を片手で掴む。もう片手は手綱を握っている。
馬は先導する知らないおじさんがロープで引っ張ってくれているので操作する必要がない。
しばらくすると滝についた。なるほど、草原の中に大きな窪みがあり、草原を流れる川が集まってその窪みに落ちている。大きな滝だ。
馬を近くの小屋に縛り付け、滝を下から見るために岩肌を降りる。おじさんが川で水浴びでもしたらどうだと提案。昨晩シャワーを浴びていなかったので身体を洗う。水が驚くほど冷たいので気合を入れて浴びる。
太陽は暖かいので水から出れば身体はすぐに暖まる。何度も入ったり出たり繰り返して清める。おかげで気分までスッキリした。
滝の下まで移動する。各々ボーッと眺めている。人間の目とは不思議なもので、初めは水がザーッと落ちているだけに見えていたのに、目が慣れたのか、次第に水の粒が見えてきた。
滝の上から飛び出してきた水の粒が滝壺に吸い込まれるように落ちていく。それをずっと眺めていると違和感に気づいた。岩肌に目を移すと岩肌がグニャッと歪むのだ。
初めは何だこれ目眩かと焦ったが、恐らく上から下に流れ続ける滝を眺め続けていたことで、動かない岩肌に目を移すと目の錯覚で岩肌が上に向かって動いているように歪んで見えるのだ。おもしろいので何度も繰り返してグニャグニャ楽しんでいると、おじさんがそろそろゲルに帰ろうとのこと。
滝の周りにはゴミがいくつか散乱していたので拾って岩肌を登る。なかなかスリリングだが意外といける。
ゲルに戻ると昼ごはん。昨晩と同じピラフ。肉は羊だと分かった。獣臭いけどおいしい。
ヤクの乳で作ったヨーグルトも頂いた。これが大層おいしい。日本で食べるヨーグルトより酸味が強いが砂糖を入れると味がマイルドになり、今まで食べたどのヨーグルトよりも美味しいのだ。舌がピリピリするのだけ気になるが発酵食品なのでまあそういうもんなんだろう。
満腹になると眠気が襲ってきた。ゲルに戻り横になる。小さな入り口から吹き込む風が心地よい。布団をかけずに横になると昼寝に最適な気候だ。遠くの方でヤギか羊かウメェーウメェー鳴いているが、辺りは静まっている。いつのまにか寝ていた。
1時間ほどして起きると、放牧している羊やヤギやヤクや馬を集めに行くことになった。ある程度集めておかないとそのままどこかへ行ってしまうのだろう。
今回はおじさんはロープを引っ張ってくれない。自分で馬をコントロールする。手綱を右に引っ張ると右に曲がり、左に引っ張ると左に曲がる。手前に引っ張ると止まり、「チョウ」と、それっぽく言うと進む。
基本的には集団に着いて行くようなので後方を着いて行く。おじさんは家畜の群を追い回しゲルの近くまで誘導していく。時には落ちている木の棒をぶん投げて脅して導く。
ゲルに戻り、子供達と遊ぶ。Aラさんがカンチョウを子供達に教えたせいでカンチョウの嵐。これが文化汚染というやつだ。
夕飯の時間。羊肉のスープヌードル。麺は短く折って茹でているようでスプーンで食べる。羊肉の臭みもあまり気にならなくなってきた。塩味が薄いが、海のないモンゴルではそれが普通なんだろうか。昨晩と昼に食べたピラフも塩が薄かった。
トビーが少し離れたゲルに行くと言い出したのでAラさんと着いて行くことに。22時を回り、辺りはすっかり暗くなった。
少し離れたゲルはツアー客用のレストランとして使っているらしいお洒落な作りだ。どういう流れか分からないがトビーのおかげでコーヒーをご馳走してもらった。
そのままトビーと話す。彼は中国人だが、新疆ウイグル自治区の出身である。漢民族ではない彼独自の目線で語る中国は非常に興味深い。
日本との比較の話は少し興味深いというか考えたこともなかったのである意味驚いた。日本は自殺者が多いという話の中で、「中国は日本と比較して自殺者の割合が低いから中国の文化の方が優れている」と彼は言った。
誤解のないように補足すると、彼はどっちかというと中国に否定的な感情を持っているので贔屓しているわけではない。そして自殺という問題について考える時に文化というポイントで優劣をつけるというアイデアは全く考えたことがなかったので僕は驚いたのだ。そして僕はこの話にそれ以上の感情は起こらなかった。眠たかったからだ。
もう午前1時。ゲルに戻り持ってきたお菓子を少し食べる。暖炉で暖まったゲルに気分が良くなりすぐに寝てしまった。
せんまさお
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