【謎の国】カラカルパクスタン共和国

皆さんは「カラカルパクスタン共和国」という国をご存知でしょうか。

僕は知りませんでしたが、気が付いたらそこにいました。

今回は、謎に包まれたカラカルパクスタン共和国についてご紹介します。



カラカルパクスタン共和国の場所

そこウズベキスタンじゃないの?という勘のいい方もいると思います。その通り、実はカラカルパクスタン共和国はウズベキスタンの中にあるのです。

ウズベキスタンとの関係

カラカルパクスタン共和国は「国」ではありますが、主権国家ではありません。つまり、独自の主権も外交権も有していません。実際にはウズベキスタンに包括される名目上の国であり、文化的自治のみが認められているそうです。しかし、独自の国旗、国章、国歌、憲法もあります。

ウズベキスタンとの関係は、ウズベキスタンの憲法の枠組みの中に置いて、両国の締結した条約と協定によって調整されることになっています。また、カラカルパクスタン共和国の憲法第1条に「カラカルパクスタン国民全体の国民投票に基づいて、ウズベキスタン共和国から脱退する権利を有する」と規定されています。

つまり、カラカルパクスタン共和国は、ウズベキスタンの憲法の枠を超えることができないが、国民の意思によってはウズベキスタンから脱退する権利も持っているということです。現在のウズベキスタンとの関係は、両国のメリットがあって成立しているものと考えられます。

カラカルパクスタン共和国の歴史

現在のようなカラカルパクスタンの領土が定まったのは1925年のことです。当時ソ連の一部だったこの地は、「民族自決」の原理に基づき、各民族の領域的自治による連邦制と言う形式をとることになりました。

1924年の民族境界策定により、1925年にカラカルパク自治州が設置され、現在のカラカルパクスタン共和国の領域が設置されました。

ソ連がその地を支配するまでは、その地に住む人々はウズベク族かカザフ族だと考えられていましたが、彼らの言語を研究した言語学者が、カザフ語と発祥を同じくする別の言語であることを発見し、新たに「カラカルパク族」という民族が創出されました。

ちなみに、「カラ」は「黒色」を意味し、「カルパク」は「尖った帽子」を意味します。近隣の国でも用いられている「スタン」は「~が多い場所」と言う意味です。そのためカラカルパクスタンは「黒い帽子を被る民族の国」のような意味を持った国名ということになります。

ソ連崩壊後の1991年、ウズベキスタンが独立し、1992年にカラカルパク自治州は現在のカラカルパクスタン共和国に改組されました。

現在では、ウズベク族が約36%と最大の人口を占め、次いでカラカルパク族が32%、カザフ族が25%の割合で、この国に住んでいます。

首都のヌクスには、かつてのソ連時代の名残から無機質な建物が並んでいますが、のどかな雰囲気が流れるいい田舎町というかんじです。

かつてはアラル海で漁業が盛んに行われていましたが、アラル海は環境悪化により縮小の一途を辿っており、現在ではほとんど行われていません。

領土内には大量の遺跡があることが分かっており、今後は観光業での発展も期待されています。

イゴール・サヴィツキーとの関係

カラカルパクスタン共和国の首都ヌクスには「イゴール・サヴィツキー記念カラカルパクスタン共和国国立美術館(The State Art Museum of the Republic of Karakalpakstan, named after I.V. Savitsk)があります。

画家であり民俗学者でもあるイゴール・サヴィツキー。社会主義を掲げるソ連のスターリン政権下で「文化革命」の名のもとに行われた「既成文化の解体と自由な世界の創造を目指した芸術運動」である「ロシア・アバンギャルド」は弾圧されました。ロシア・アバンギャルドの絵画は処分され、画家たちは粛清の対象となりました。

国家の弾圧下にあり、歴史に埋もれた絵画を当局の目を盗んで収集した人物こそがイゴール・サヴィツキーであり、現代においては、彼が救い出した作品たちがソ連美術史の空白の歴史を埋めることとなりました。

それではなぜ彼はこの地に収集品を集めたのかというと、ここは砂漠に囲まれた辺境の地で、ソ連当局の監視の目が届きにくかったからだとのこと。

彼が無我夢中で収集した作品はあまりに多く、旧ソ連地域の中では、ロシア美術館に次ぐ前衛芸術のコレクション数を誇るそうです。

僕も行ってみましたが、広大な館内に数えきれないほどの絵画や像などの作品が展示されています。これらの作品が葬られる運命にあったとは信じられません。

カラカルパクスタン共和国のいいところ

観光地としては、アラル海が干上がったところにある「船の墓場」と呼ばれる錆びた船くらいしか有名なものはありませんが、この街が醸し出すゆるっとした雰囲気はウズベキスタンとはまた異なるように感じました。

宿の近くを歩いていると、パンを焼くにおいがしたので行ってみると、一軒のナン屋さんがありました。

ナンを買おうと入ってみると、突然の外国人の訪問にお母さんが慌てふためき、かわいらしい娘さんが勉強中であろう英語で対応してくれました。奥から英語が話せる息子さんも出てきて、丁寧にパンの作り方から焼き方まで教えてくれました。

最後にはみんなで記念撮影を行い、みんなで見送ってくれました。

美しい美術品を鑑賞し、ナン屋さん家族のあたたかい歓迎を受け、いい気分でこの地を去りました。いい思い出が詰まった国です。

おまけ

サヴィツキーの作品

サヴィツキーが救い出した作品

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せんまさお

せんまさお

シャイな僕が世界一周の旅へ。諸事情により緊急でお金が必要だったので一部上場企業のキーエンスへ就職。27歳で退職し、夢だった世界一周をすることに。やりたいことを全部やっている最中です。まずは死なずに帰ってきます。皆が憧れる世界一周だと思いますが、良いところも悪いところも全てそのままお伝えして、一緒に旅している感覚になっていただければ嬉しいです。座右の銘はPLUS ULTRA。「もっと向こうへ」という意味です。好奇心の赴くままにもっと向こうへ行ってきます。好きなコーラはコカ・コーラ。スカッとさわやかコカ・コーラ。LOVE&PEACE。

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