日本の人口は1億2650万人いますが、その内8770万人が仏教徒だと言われています。
僕も普段意識はしていませんが、実家は仏教のようですから、そのままいくと僕も仏教徒であるということになるのでしょう(神棚もあるので神道でもあるようです)。
意識していないにしても、日本の文化的に仏教は身近な存在であります。
そのため、世界を旅していても、仏教だけはなんだか身近な宗教のように感じ、気軽にお寺を訪れることができました。
キリスト教の教会やイスラム教のモスクなどはマナーがよく分からないので、観光に開かれていても、ちょっと気を遣います。
そして旅する中で、そこまで意図せず「三大仏教遺跡」全てと「仏教の四大聖地」の内3つを訪れていたことに気が付きました。
今回は、「仏教の四大聖地」について、歴史を交えながらご紹介します。三大仏教遺跡についてはまた別の機会に。
仏教の歴史や教えの解釈は諸説あります。仏教徒ライト層である僕が書いたという前提で、娯楽感覚で読んでください。
仏教の四大聖地とは
四大聖地の全てがブッダに関係する場所です。
・生誕の地「ルンビニ」
・悟りの地「ブッダガヤ」
・初説法の地「サールナート」
・入滅の地「クシナガラ」
ブッダの入滅について叙述された「涅槃経」によれば、いずれの地もブッダが入滅の直前に自ら指定したと言われています。
生誕の地「ルンビニ」
いずれもブッダにゆかりのあるインドにあると思いきや、ルンビニは現在の「ネパール」に位置します。
とはいえ、ブッダが生まれたのは紀元前600年ごろのため、現在の国境は意味がなく、あくまで現在のネパールであるところにあります。しかも、ルンビニはインドとの国境から10km程しか離れておらず、いずれにせよ、インド文化の影響がある地であることに変わりありません。
ここはブッダのふるさとという訳ではなく、ブッダの母であるマヤがお産のために里帰りをしようとしていた途中で産気づき、ブッダは「脇から生まれた」のです。
なぜ脇から生まれたのでしょうか。神聖なるブッダだからでしょうか。実はそういう訳ではありません。
当時は現在よりもカースト制度が厳しかった時代。当時は現在のインドで最もメジャーな宗教であるヒンドゥー教の成立前であり、その母体となったバラモン教の時代です。
一番階級の高いバラモン教の聖職者は「頭」から生まれ、それに次ぐ王侯貴族は「脇」から、商人や農民などの一般人は「腹」から、一番下の奴隷は「足の下」から生まれるとされていた時代です。
ブッダは王族として生まれたために「脇」から生まれたとされています。ちなみに母が身ごもった時は「白い象に乗ってやってきて脇腹から入って来た」そうです。とにかく「脇」なのです。
こうしてルンビニの地に生まれたブッダですが、生まてすぐに立ち上がり、東西南北に7歩ずつ歩いた後、右手で天を、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と言ったそうです。
意味は様々な解釈があるようですが、「一人ひとりが尊い存在なんだよ」的な解釈が有力視されているようです。
後に、カースト制度を打ち破り、皆平等である仏教の開祖となるブッダらしい言葉のように感じます。
そして2000年以上の時が流れ、このルンビニの地である石柱が発見されました。
紀元前249年、インドで仏教を保護したアショーカ王がこの地に「ここでブッダが生まれた」的な石柱を建てました。
その石柱が1896年に発見されたことで、「もしかしたら伝説上の人物かも」と思われていたブッダが実在した人物であり、この地で生まれたということが判明したのです。
インドでは仏教がほとんど衰退しているため、この地はすっかり忘れられていたのでした。
現在ではブッダ生誕の場所をピンポイントで見学することができるように整備されています。
周辺の広大な土地は綺麗に整備され、菩提樹が植えられ、日本を始め様々な仏教国の寺院が建ち並んでいます。ちなみに、この敷地の整備の計画は日本人建築家が行いました。
悟りの地「ブッダガヤ」
ブッダが悟りを開いたとされる地であり、仏教においては最も重要な聖地とされています。
紀元前3世紀ごろにインドで仏教を保護したアショーカ王が建立した「マハーボディ寺院」が現在でもあります。
王族として生まれたブッダですが、16歳で結婚した後、人間の4つの苦しみ「生老病死」について考える日々が続きました。
そして29歳で人間の苦悩を痛感し、解脱の道を求めて出家しました。
たとえ王族と言えど、出家してしまえばひとりの修行者。樹下石上を寝床とし、食事は施しを受け、衣服は一般人が捨てる布を縫い合わせたものを身にまとっていました。更には断食も行いました。
悟りを求め、現在のブッダガヤ近郊にある「前正覚山」に辿りついたブッダは、山の中腹にある留影窟という洞窟に6年間も籠り、瞑想していました。
ある日、「いくらここにいても悟れない。あと体調も悪い。」と悟ったブッダは、山から下りたのですが、麓にある村でスジャータという女性と出会い、乳粥を施してもらいます。
乳粥で元気を取り戻したブッダは再び前正覚山に登り、なんなら頂上まで登ったのですが、突然地震が起き、山の神から「ここでは悟れないよ」とお告げを受けました。
それなら、と山の中腹まで降りて瞑想をしようとしたところ、再び地震が起き、山の神から「ここでも悟れないよ」とお告げを受けました。
更に、「この近くの菩提樹が茂っているところの下に金剛宝座があるよ。過去の仏様はみんなそこで悟ったよ。」とお告げがあったため、後のマハーボディ寺院が建てられる地へ行き、菩提樹の下で瞑想を始めました。
そして、「もう悟りを開けるまで立たないぞ」と決めていましたが、ブッダの気を乱す悪魔マーラが現れました。ブッダが悟りを開けばマーラは破滅する運命にありました。
そのため、瞑想中のブッダの前に3人の美女を送り込みましたが、ブッダは誘惑に負けませんでした。
次に恐ろしい形相の怪物をけしかけましたが、なぜかブッダには近づくことができませんでした。
最期はマーラ自身が巨大な円盤で襲いかかりましたが、円盤は花輪になってしまい、マーラは負けを認めました。
そして長く暗い夜が明けようとしたその時、明けの明星を見て、ついにブッダは悟りを開いたのでした。菩提樹の下で瞑想を初めて49日後だったと言われています。
この時、ブッダは35歳。ブッダがブッダ(サンスクリット語で「目覚めた人」という意味)になった瞬間でした。
ブッダが悟りを開いた場所の上にあった菩提樹は何代にも渡ってその地に残り続け、現在でもその子孫の菩提樹がマハーボディ寺院内に生えています。
散った葉にはご利益があるとされており、落ちてきたものを持ち帰ることができます。
今でも世界中の仏教徒が集まる地であり、僕が訪れた時には、チベット仏教の象徴であるダライ・ラマ14世が訪れていたらしく、街中がオレンジの正装で賑わっていました。
ちなみに、ダライ・ラマ14世は1940年に即位されましたが、1959年に中国政府の社会主義改造の強要をきっかけにインドへ亡命しています。
現在高齢のために後継者について議論がありますが、本来なら慣例に従いNo2であるパンチェン・ラマ11世が転生者を認定するのですが、パンチェン・ラマ11世は中国当局によって連行され行方不明になっています。
そして中国政府は転生を届出・許可制にするという法律を施行し、許可がない転生は違法で無効であるとしています。そして、パンチェン・ラマ11世の転生は認めておらず、代わりに別のパンチェン・ラマ11世を認定しており、現在2人のパンチェン・ラマ11世が存在している問題が発生しています。
そのため、中國当局が指名したパンチェン・ラマ11世の指名により、ダライ・ラマの後継者まで中国当局の息がかかる可能性が高いという事態が発生しています。
初説法の地「サールナート」
悟りを開いたブッダでしたが、長い期間考えに考えた末に悟ったことを人に言っても理解できないだろうからと、心に秘めておこうとしていました。
しかし、ある日バラモン教の最高神であるブラフマン(梵天)が現れ、ブッダに教えを説くことを勧めたとされており、ブッダはようやく説法することを決意しました。
まずは6年間の苦行の間、世話になった修行者5人に教えを説こうと考え、現在のインドのバラナシという街の近郊にあるサールナート(鹿野苑)へ向かいました。
さてさっそく説法しようとしたところ、5人の修行者は、ブッダが前正覚山から降りてきた時点で、「ブッダが堕落した」と見限っていたため、そもそも話を聞いてくれようとしませんでした。
しかし、必死の説得でようやく聞いてくれることになり、ブッダは初めて説法をしました。
その内容は「中道」と「四諦」だったとされています。
「中道」とは「苦」と「快」の間という意味で、苦で己を傷つけることでも、快で心を狂わせることでも「智慧」を生じさせることはできないという教えです。
「四諦」とは四つの真理のことであり、悟りを開くための方法を説いたものです。4つの事を諦めるという意味ではありません。その内容は「苦諦」「集諦」「滅諦」「動体」の4つです。
「苦諦」は「人生は思い通りにいかないので悩みばかりである」という意味です。
「集諦」は「人生に苦しむのは欲があるからだ」という意味です。
「滅諦」は「苦しみの原因である煩悩を消し、苦しみのない境地に達する」という意味です。
「道諦」は「苦しみから解放された境地に達するため、正しい行動を行うこと」という意味です。
つまり、「四諦」とは、「人生はいろいろあって苦しいけど、苦しみの原因は欲なので、正しい行動をして欲を消すことで、苦しみから解放される」みたいな意味になります。
「正しい行動」は「八正道」と呼ばれており、以下の8つのことです。
・正見:正しいものの見方を持つこと。偏見で見ないこと。
・正思:感情にとらわれず、正しい考えで判断すること。
・正語:嘘や悪口は言わず、正しい言葉を使うこと。
・正業:欲のままの行動をしないこと。
・正命:規則正しい生活を送ること。
・正精進:正しい努力をすること。
・正念:正しい志を持つこと。
・正定:正しい心の状態を保つこと。
この説法を聞いた修行者5人の内の一人カウンディンニャが悟りを開きました。それを見たブッダが大いに喜んだとされています。
そして残りの4人も次々と悟りを開きました。
そしてそれぞれが各地に分かれて、教えの伝道を始めました。
現在、サールナートはインド政府によって整備されており、遺跡公園となっています。公園からは多数の仏像が出土しているそうです。
ダーメーク・ストゥーパという仏塔が建っており、世界各地から集まった仏教徒が周囲を周ったり拝んだりしています。
入滅の地「クシナガラ」
ブッダは80歳になるまで教えを説き続けましたが、ある日病にかかりました。無事に治りましたが、弟子のアーナンダに「もう老いた」と告げました。
そしてまたあくる日、施しを受けた食べ物にあたり、激しい腹痛を訴えるようになりました。そしてクシナガラ近くの河のほとりの林に横たわり、入滅しました。
最期の言葉は修行僧に宛てたものでした。
「全てのことは過ぎ去る。怠らず修行を完成させなさい。」
ブッダの入滅後、遺体は火葬されました。遺灰はいろいろあって8分割されて祀られることになりました。
そして、ブッダは口伝えで教えを説いていましたが、弟子たちは亡きブッダを慕い、遺された教えと戒律に従って歩もうと、説かれた法と律を集めたことで、今日の経典ができました。
現在、ブッダが入滅した地には「涅槃堂」が建てられています。
ブッダの教え
仏教徒ライト層のため、正直言って教えみたいなものを全く知らなかったわけですが、調べてみると、どうも教えからは宗教色を感じないのです。
ブッダ誕生から悟りを開くまでのストーリーこそファンタジックな風ですが、教えを見ると、論理的な問題解決のHow toのようにも思えます。
仏教の言葉に「縁起」というものがありますが、「物事は、原因と間接的な条件から成り立っている」というものです。
そして「その原因を正しく見て判断し行動するべき」だと説く仏教の教えは、現代の社会にも十分通用する考えだと思います。
そもそもが、ブッダが「人間の4つの苦しみ」から解放されるために考え抜いた答えこそが「教え」だったので、宗教色が濃くなったのはブッダ入滅後なのでしょう。
ともかく、これら四大聖地を訪れることは、ブッダの生涯を感じ、苦しみから解放されるための思考を身に付けるためのいい機会になるかもしれません。
まあ、シンプルにいいところでしたから、機会があれば行ってみてください。
※僕はクシナガラには行っていません。
せんまさお
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